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ゆうべ、仕事帰りにふと祭囃子のような音が聞こえて寄ってみたら、秋葉原の公園(昌平小学校のそば。「芳林公園」か)で地元の祭りをやっていた。祭りと言っても出店というか、町内会ごとのテントがあるくらいで(夜の9時過ぎだから主な催しは終わっていたのか?)、中央の壇上でこれから抽選会をやるとか言っていた。
秋葉原として知られる千代田区外神田は意外に地元住民が多いのだろうか。区立の小学校(昌平小学校)があるくらいだから当たり前か(外神田以外の隣接地区も学区内に入るだろうけれど)。その小学校の裏、昌平橋通り沿いがアパートだと気づいたのはつい1、2ヶ月前のこと。仕事の用事で昌平橋通りを歩いていてふと見上げたときだった。仕事で丸3年通っているのにそんなことにも気がつかなかったとは。
この夏の初めには神田明神祭りが行なわれた。参加地域は外神田に限らずかなり広いようだけれど、中心になる社がすぐ近くの神田明神こと神田神社である。さらしに褌姿で神輿を担がんとする男衆が朝晩の明神通りあたりを練り歩いていた。伝統の祭りというやつか。2年に一度なのも今回初めて知ったなんて…。
歳を取って、祭りというものへの見方が少し変わったと思う。
昔、子供のときは祭りというものがあまり好きではなかった。地元の祭りのときは出店に行ったりもしたけれど、結局祭りの核心のところに触れていなかった気がする。そもそも、(中学・高校の)学園祭を除けば、祭りと名の付くものに「参加する」、出店か何かだけでも祭りに加わる、ということがなかった。大きな祭りなどに遠出して行ったこともなかった。やがて祭りには全く行かなくなった。大学の学園祭なんてほとんど行ってない。ほとんどただの休みとしか思っていなかった。
「参加」したことは今でもないのだけれど、祭りというものの一体的な昂揚感、その意味が、昔よりも少しだけ分かるようになった気がする。地域で続けてきたものの良さ、大げさに言えば崇高さ、とか。
そう、だから、たとえば阿佐ヶ谷七夕祭り。1年半働いた所だし。懐かしかった。仕事は好きではなかったけど、阿佐ヶ谷という街は当時から何となくいい街だと感じていた。
そして、夏コミ。実質終了前15分しか行ってないけど(廻った先の皆様には今さらですがおつかれさまでした、そしてありがとうございました。そのあと企業ブースには行った)。ぐずぐずしてる間にまたチャンスを逃がした、のかなあ。だいたい、もっと何年も前から周到に来て逢ったり眺めたりできればよかったのに、などと最近思ったりもするのだが。たとえば2005年には実際来たりもしていたし。ただし某氏の評論誌目当てで、レイヤーだの何だのなんてよく分からなかった。近づくことがありうるとは思っていなかったのだ。しかし、過ぎた時は惜しんでも戻らない。
まあ、たとえば、そんなことを思うのであります。
追記:
コミケで企業ブースも終わって帰りがけの夕方、外に出てふと建物を見上げたら、青い空とあの倒立四角錐がひどく美しかった。写真に撮りたかった。持っていくのやめたからなあ…手持ちのケータイはカメラ機能が貧弱だし。
廻った所以外にも、いたんだなあ…知らんかったしなあ…向こうも気づかなかったんだろうなあ…何も、できなくて。この夏も。
8月が、終わってしまった。
いろいろなことが、移り変わりつつある。
少し近いような、でもやはり遠いようなところで。
己れはなかなか、移り変われない。
そう言えば、「秋」と書いて「とき」と読ませる書き方があるのだったなあ。たぶん、「機が熟した」ことを意味しているのだろう。いやあるいはむしろ、「意を決した」という能動性を見たほうがよいのだろうか。
私は忘れっぽく、しかもかなり方向音痴、であると昨日今日であらためて認識した。
なぜって、ゆうべは3ヶ月行ってない処へ久しぶりに行こうとして見事に道に迷い、ために目的地に着くまで半時間遅れて結局用を果たせず(そして激雨に己れを濡らし)、その昨日行ったばかりの処に本日こそはと向かえばまた迷いかけ、さらに別の処へひと月ぶりに向かえばまた迷いかけたから。
まったくおバカさんだよ。
まあでも、何とか両方にたどり着けて、(ひと廻りも年下だけど)度胸が据わってて気持ちの真っ直ぐなR姐さんにお別れの挨拶ができたり、(遅れて着いたのが終わり際になっちゃったけど)風邪(?)を無理やり治して仕事してるM姐さんの姿が見られたり、帰りは雨に降られたけどゆうべほど激しくないところを縫って帰れたからいいか。
…「コイツやっぱ気が多いな」とのご意見は甘んじて受けます。まっでも、会いたいひとはたくさんいていいんじゃありませんかね。各々が、思い抱えつつ立派に日々生きておられるのですよ。そして私もいくばくかでもそれに習わんと思うこともあるわけです。それを邪まだと言うなら、私のこの上なお生きてゆくことに何の意味がありましょうや。
ゆうべは酷い目にあったさ。
暑いのか涼しいのか、よう分からん。
去年は8月末ぎりぎりまで晴れが続いて、突然激しい雷雨が降って一挙に秋の涼しさに切り替わったのだが。
今年はいやに雨が多く、それでいて暑さが退かない。蒸し焼きにされている気分。
まだ8月1週間残ってると言うに。
さみしいのう。
泳ぎにも行けんじゃないか。(まじで今年も行けず終いかなァ)
気温は下がったが、ジトジトして微妙に蒸し暑いし。
「ねばならぬ」の用がないと、出かける気も、いまいちノらない。…それはよくあることか。張子みたいだな。
ゆうべアキバの萌え系カフェをはしごしたりするから(爆)
夏の終わりは、なぜかいつも、軽い憂鬱。
気がついたらめっきり涼しくなっている。
そして今日は雨。おかげで出不精モード。(無駄な夜更かしで寝不足なのが一番の理由だろうけど)
そういえば今日は処暑か。暦に忠実に言えば残暑見舞いも昨日で打ち切りなのだが、1枚しか出してない…。
この夏も去年と同じく暑かったけれど、去年より暑さの収まるのが早い(これでまたぶり返さなければの話だが…しかしもう峠は越しただろう)。真夏の暑さは嫌だけれど、いざ暑さが退くとさみしい気もしてしまう。もう夏も終わりゆくのだな、と。そりゃ、いずれにせよ日々は過ぎてゆくから当たり前ではあるのだが。
それにしても変な雨の多い夏だった、と思う。あのぶちまけるような雨が何時間も空から降り続けるなんてやっぱり自然は不思議だ。なんて言うと子供っぽいかもしれないけれども。
今年もまだ泳ぎに行ってない。体調が良くなかったからだけれど、またしても泳がずじまいか?
泳ぎには行ってないけれど、この夏私としては別のしかたでけっこうチャレンジ(クエスト?)しているかも。
それは無駄なチャレンジなのかな?
そうではない、と信じたい。あるいは、それを無駄と思ったら、私が生きてること自体無駄じゃなかろうか。
人間というのはそれ自体無駄な生き物、そして/あるいは、無駄なしには生き続けられない生き物ではないのかなあ。そもそも「無駄」なるものも人間を通じてしか成り立ちえないあり方、だよなあ。
無駄なクエストは季節限定ではない。夏が終わっても続く。あるいは、生きることそれ自体が何がしかのクエスト、と言えるかも知れない。それがたとえ社会的にはまったく取るに足らないつまらないものだとしても。
ところで15日は結局某カフェと某ライヴの両方に行った。
出かけるのが遅くて、ライヴに遅れないためカフェ滞在は早めに切り上げた。失敗したな。
紅いリボンの姐さん(大臣御令嬢のほう、先月末に僕が目黒まで勇姿を観に行った人)から
「今日早くから店開けてんだからダラダラ寝てないでさっさと来りゃよかったのに」(少し意訳)と言われてしまった。
まあね(笑) でも午前中に起きてはいたんだよ。NHK観ながら正午の黙祷もしたし。
そのあとが長いのよボクは。
夜のライヴ、会場は小さいところだった。こないだの目黒よりも小さい。
出演者は個性的な人が多かった。一人芝居で漫才やりだしたり、同い年(!!!)がいたり(「草原のマルコ」は思い出深いよ、苦い懐かしささ)、スパロボ系のアツい人もいたり、あともういろいろ。ぶっちゃけ、ちょっとついてけない(苦笑)
特撮ヒーローやった人も客席に来ていて演者交代の合い間にステージでキメポーズとったり。
(ツーショットかw わかったよ、ボクだってよく真似したよww)
今回のお目当ての人は出番が後の方だった。
でも早くから控えていた。僕の陣取ったところのすぐ後ろに。
顔はお互い知っていたはずなのに、声はなんとなくかけそびれた。
傍から見ていて、なんとなく、自分の出番は無いような気がした。
だから、終わるまではこそこそすることにした。ちょっと、みっともないけど。やっぱり、それが僕のデフォルトなのさ。
アピールしたからって、喜ばれるとは限らないじゃないの。相手が受け止められなければ。そこが分からないのよ。
「かゆいところに手が届く」どころか、
80年代アニソンであの歌は定番だよ。保守本流だよ。
20曲歌って『さすがの猿飛』に1曲もかすらなかったら主催者と出演者の見識疑うよ。僕は。(力説)
(『Gu-Guガンモ』とか『ダンバイン』とかが「かゆいところ」だと思うw)
ラストのあの歌も同様。(笑)
いつもどおり、あんまりノレなかったけど。
目黒といい、この大久保といい、何かのきっかけがなかったらいつまでも来ないでいた。
もっと早くから、こういう処に(アニソンライヴじゃなくていいけど(苦苦笑))見物に来ていればよかったかな。
終戦記念日の夜に何やってんだなんて、言いっこなし。って、今どきそんなこと言う人いないか。
今さらながら。
夏コミも終わったのだなあ。
直前のワンダーフェスティバルでエスカレーターの事故があったり、妨害予告のいたずらで逮捕者が出たり、準備会も苦労が増えたとかいろいろあったけど無事に終わったようで。
今回もいつもどおり行ってないけど。
やはり私は求道者には程遠い(笑)
まあ、昔から行ってなかったし、今からそっちの道を求めてもねぇ。
本はかさ張るし重い(特に同人誌は重い紙使ってるから(笑))
だいたい、目当てのサークルやらがあったとして(企業ブース以外は)一日限りだから、まさにその日が空いてないと行けないわけで。
愉しめるひとが愉しめれば、いいさ。
まだまだ暑い。
でも夏の日々は過ぎて行く。
ところで日本のお盆の金土日と言えば、当世は海辺の倒立四角錐モノリスの下に求道者どもが集うあの祭典である。僕だって興味はあるけど、行き慣れてないしサークルが膨大だし今回は今日しか行けないし、いまいち楽しめないんだよな。。コスプレ拝んで企業ブースだけ廻ってもいいかも知れないけど、終わるの早いから今行っても間に合わなそうだし(前にもそんなことがあった)。
あと、今日は夜に他のどこかへ行くかも。また見物で。
某カフェ、今日は平日では珍しく早めに開けてる(もう開いてる!)そうで。祭典との兼ね合いか? ゆうべ行ったらイベントやらで慌しそうだったけど、今日はどうするか。(別に懲りちゃいないけどね。都合とか体調とか懐具合とかあるしね)
もたもたしてると、なんにも愉しめない。
最近知り合った(と言っていいのかな?)ひとは長崎出身だという。
8月9日。うーんそうか。結びついてなかった。
日本の8月は弔いの日が続く。先の大戦にかかわる日が多いけれど、それだけでなく、12日は日航機墜落事故の日だった。もう23年か。
そして今日15日は終戦記念日である。
どれもあってはならない惨事の日(終戦記念日だけはまたちょっと違うけれど)なのだが、なぜかお盆の期間に重なっている。暦にはそもそも疎い私が言うのもなんだけれど、お盆はもともと先祖やら死没者を弔う、そしておそらく、そのことを通じて存命している自らを振り返る期間なのだろう。そこに偶然であれこのような国民的大惨事の日が重なれば、一連一体のものとして世に受け止められるのは自然の成り行きだろう。
(もっとも、原爆投下から終戦までが接近しているのは事の成り行きとして自然ではある。また8月15日は単純に「終戦(日本の敗戦)が公式に決まった日」とは言えず、もともとお盆と結びついて「終戦記念日」として認知されたという話もあるようだ。)
この期間、先の大戦にかかわるテレビ番組が集中的に放送されたりする。もっとも敗戦後60余年を経て、その追悼の心情も万人の一致した実感とはいかなくなってきているけれど。国民的ななんとかってのがもうなかなか成り立ちにくいからなー。それにお盆だからって休めないひとはけっこういるし(僕だってたまたま今日だけ休みだったのさ)。