(入浴をはさんで)またテレビを観ていたら。
Lady GaGa が「あなたにとって美とは?」と問われて
「美とは嘘よ」と答えていた。
("Beauty is a lie."とか言ったのか? "lie"だけは聞き取ったが)
芸術に真の美(真理としての美?)があると言われるけれど、芸術の美だって嘘がある。
その嘘は、人々を現実から引き離すために必要なものだと。
うーん。さっきと正反対。
直後にゲストの一人で精神科医の春日武彦が「まあ彼女の立場だったらそういうのは分かるけどね」などと納得いかなそうに話していた。
僕が第一に素朴に感じたことはたぶん春日氏に近い。つまり「嘘だ」と断言されてしまうと違和感がある。
とは言え、彼女の言葉も分からないではない。僕の考えに強引に近づけて言うと、美は理念=理想(ideal)であり、経験世界に現にそのように在るものではない。そしておそらく、ひとは、現にそのように在るところの経験世界だけでは生きていけない、非現実なものを必要とする生き物なのだ。(しかし今や動物化の時代であるとしたらそうではなくなるのか?)
作為と自然(じねん)。しかし自然であろうとすることもまた作為か? 難しい。
レディガガは、たぶん最近『アエラ』の表紙になったんだかで初めて知ったくらいであまり知らない。過激な出で立ちで有名なようだが、番組でインタビューに応じる姿はさほど尊大そうではなく、むしろ少し内気そうにすら見えた。
観た番組はこちら:NHK「TOKYOニュースREMIX」 まあテーマが「整形」だしね。
ヴィクトリア・ベッカムの「縮乳」には軽く度肝抜かれました。というか豊胸手術してたこと自体知らなかった。あんまし見てなかったし。
昨夜、帰宅してぼんやりとテレビを観ていたら、晩年(たぶん数年前)の緒形拳がこんなことを言っていた。
(あなたにとって演技とは?と問われた…のだったか?)
「ちょっと理屈っぽくなっていいですか?
演技することは、演技しないことにつながっていくんですよ。
気持ちだけで、そうなっている、という。
下手だなー、って言われたら、最高の賛辞だね。」
(以上、記憶に頼っているので細かい語句は違っているかも知れない)
すごいこと言ってたんだなー。禅と同じかな。作ろうとしないで、できている、あるいはそうなっている、という。まさにこれ遊戯自在。
しようとしないで、できている。役者だからとりわけこういうありかたが良き事になるのかも知れないし、もしかすると日本独特の考え方のような気もするし、逆に「習熟してはいけない、常に考えて事を為すべし」という一見逆の考え方もあるのだけれど。
僕は役者じゃないけれど、何かこういうありかたができたらいいのだけどな。
なんか僕は、何をするにも「やるぞ!」くらいに思わないとできない。「ほんとはなんにもしなくていいじゃないか」とつい思ってしまう。ちょっと出かけるのだって、ひとにちょっとしゃべるのだって、こんなブログ書くのだって。
緒形拳については、一視聴者だからと生意気なことを言うと。昔はアクが強くて、子供の僕には好きになれなかった。なかなかいいな、と思うようになったのはここ10年くらいか。アクが抜けてきて年季を重ねたいい渋みが残った、なんて言うと失礼かな。「70歳から80歳にかけて、体がいうこときかなくなるしものの道理もわかってくるし、表現をするのにいちばんいい時期なんじゃないか」なんてことも言っていたようで、もうこりゃ文字どおり求道者だったのだなあと思う。
観た番組はこちら:NHK「NHKアーカイブス あの人に会いたい」
私は気分の浮き沈みが激しいたちです。
というか基本は低調です。
最近また少し低調です。
何がというほどでもないですが考えさせられることも最近いくつかありました。
私もそれなりの齢ですから。至らないなりに思うところがあります。己のあまりの至らなさ、やら何やらに。
そう言えば。
なんか誤解されてるのかなと思ったことがつい最近ありました。あるいはむしろ私が誤解してるのでしょうか。
私がどう見えているのか、私のどんなところからそのような印象を受けたのか、一度聞いてみたいです。…と言っても、ひとの印象とかいったものは、そのように言立てて問い質すことで確かめられるのではないのかも知れませんが。
私は至らないところばかりで、ひと並みに充分成長してなどいないのです。
そうでありたかったし、そうであることによって尊敬されたかった、あるいは今後できるならそうなりたいけれど、今実際には全くそんなことはない。
例えばこないだも、青山に行くのに最寄の駅を間違えて(表参道駅であるべきところを青山一丁目駅で降りた)、地下鉄に乗り直して劇の開演に30分くらい遅刻したとか。
ここ数日も慣れないパズルやらに1時間くらい悩んで結局解けなくて頭も痛くなって無様で惨めだとか。
仕事のことなんてみっともないことばかりで、こんなところで書けやしない。
そして、誤解によって尊敬されるのはなんか嫌です。ズルしてるかのようで。
いつかボロが分かって、尊敬が軽蔑へと反転するとき、その残酷さを思うと耐え難いものがあります。
それは例えば、突き刺されるような、あるいは己が肉を抉られるような、引き千切られるような痛みであるように感じます。
ある意味では、ひと並みの成長を諦めている面もあります。
ひと並みを目指すことがあまりにも困難であるように思えるから。
たぶんそれが、つまりは「残念」ということなのでしょう。
そのように諦め開き直ることで見えてくるもの、開けてくる地平もあるのではないか、などと思ったりします。(…なんか怪しい言い方かなあ)
いつだったかにも書いたと思いますが、駄目な人生もまたひとつの人生です。それが終わるまでは。
それで、私にとって、例えば役割遊戯とか、あるいはこうしたウェブログとかいうのは、せめてもの救いであったり、あるいはもしかしたらわずかばかりの成長の機会かも知れなかったりします。
まあ、私でも一瞬きらめいて見えることがあるんでしょうか。
たしかに、「ちょっとこれ自分よくやった」と思う瞬間がここ1、2年くらいでいくつかありはしました。
でも続かないので…。「在る」とは「在り続ける」ことだとすると、これどうなんでしょう。
とは言え、年中毎日格好良いなんて普通無理だよな、ときどき「キラッ」とできれば充分格好良いんじゃん?などとも最近は思いますが。
…なんか、こういうのを「デレネガ」って言うんでしょうか。
でもこれ、誰でも読めるんですけども。
まあ、読み通すひとは限られるでしょうから、ということで。
「天皇陛下御在位20年記念式典」が挙行された。なんで今日だったんだろう。調べていないし事情はよく分からない。
奇しくも数日前に森繁久彌が亡くなった。
森繁についてはテレビでしか観ていないと思う。年齢を数えれば、私が生まれたときにもう還暦を過ぎている。映画や舞台での仕事は全く観たことがない(テレビ放映した分もたぶん観たことがない)。だから森繁をよく知っているとは言えない。結局彼の何がどうすごかったのか、今ひとつよく分からない。私の知っているのは、まあなんとなく大物の爺さん役でよく出ていたひとといった程度か。エロジジイと分かったのはずいぶん後になってからだった(そういうことに疎かったから)。…死んだひとに向かって失礼だって? いやあ、当人も近しいひとたちも、大笑いしたりニヤニヤしたりして終わりだと思うよ。そのくらいの懐の深さはあったんじゃないの。このあたり、良くも悪くも今どきこういうひとはなかなか出てこないだろうな。
昭和は遠くになりにけり。まあ、昭和も別に薔薇色だったわけでもない(だろう)けれど。時の過ぎるのは早い。いやあ、今ごろになって平成生まれのひとに(も)からかわれたりかまってもらったりするなんて想像だにしなかった。
合衆国大統領閣下夫妻来日は日が明けてからか。東京は至るところで警官が警備中。ご苦労さんです。
訂正追記:大統領夫人は来日しなかったのだなあ。(2009.11.26)
先週土曜に観てきたので日が経ってしまったが。
なかなか面白かった。
じつのところ田中理恵が出演しているからとのことで観に行って、彼女もいい演技をしていたが、それだけでなく全体として観る価値があると思う。要潤と今野浩喜もなかなかいい味出している(失礼ながら今野氏をじつは今まで知らなかったのだが)。とくに要潤は、劇中劇での(いかにもな)カッコ良さと、地の劇でのカッコ悪さの落差がよく出ていた。地の劇でのカッコ悪さ、さえなさに違和感がなく嫌味がないのだ。
そして話が、…うーんそうくるか。面白い、と言うか、愉しくない面もあるのだけど、考えさせられるし、観てよかった。
もともと演劇をあまり観に行っておらず、青山円形劇場は初めてだったが、劇場の形を活かした劇になっていると思う。
まだ公演中(11月8日(日)まで)なのでネタバレは避けてこのくらいで。
時間(とお金)のある方にはお薦めしたい(残席があればですが)。お薦めする価値のある劇だ。